【本日の談話室】第19話
~被害者にも責任があるの?~
何気ない日常の中にも
実は“知らないと損をする法律”が潜んでいます
このシリーズでは
その中でも、特に身近な法律事例を紹介します
雨上がりの午後、若いお父さんが談話室を訪れました。「子どもが横断歩道で事故にあったんです。幸い命は助かりましたが…相手側から“過失相殺”だと言われて…。子どもはまだ小さいんですよ? なんで被害者なのに責任を負わなきゃいけないんですか?」その声には怒りと悲しみが混ざっています。
【雑談から余白】
「気持ちはよくわかります。交通事故で子どもが被害者なのに“過失”を問われるなんて、納得できないですよね。」
「実は、子ども本人に落ち度がなくても、“一緒に行動していた大人の注意義務”が問われることがあるんです。」
お父さんは目を見開きながら
「どういうことですか?」
「たとえば、小さな子どもを連れて道路を渡るとき、親が手をつないでいなかった…そういう“監督上の過失”があると、親の過失が子どもに影響してしまうんです。つまり、子ども本人は悪くなくても、損害賠償の額が減らされることがあるんです。」
お父さんは深くため息をつきながら「…守るはずの親の注意不足が、子どもの補償に響くんですね。」
【補足メモ】
実際には、警察の検証を経て、保険会社の査定になると思いますが、その結果で裁判などに移行した場合に過失相殺を考慮できるのが「裁判所」となりますので、相手側から突然言われることは無いと思います。
法律が人の心を裁くわけではありません
でも、現実の中で心が納得できないことも…
【ミライ談話室】
人は、不安や違和感を抱きながら生きています
すぐに解決できるものもあれば
時間の必要なものもあります…
「ちょっと気になる」「なんか違和感がある」
そんな時こそ、ひとりで抱え込まないで
ミライ談話室の扉をノックしてください
心の違和感を一緒に整えていきましょう
その違和感こそ“ミライの扉”かもしれません
【本日の法的根拠】
本日は【民法第722条(過失相殺)】です
「被害者本人に過失がなくても、身分上・生活関係上一体とみられる者の過失を、被害者自身の過失と同視できる場合がある」という判例から、親の監督に明らかな注意不足があった場合には、その影響が“子どもの損害額の判断”にも反映されることがあるようですね。
※記事は、一般的なケースをわかりやすく紹介したものであり、実際の状況等によって扱いが異なる場合があります。個別具体的な事案については、専門家にご相談ください。
【被害者にも責任があるの?】

